過去・現在
そして半歩先へ
那古野界隈の町並みが形成され始めたのは時を遡ること400年前、名古屋城築城の際に作られた商人町です。その地区を通る道幅4間(約7m)の道が四間道と呼ばれ、その道を挟んで東側に土蔵、西側には町家が建てられました。清洲越えで移り住んできた豊かな商人たちが住んで活気にあふれていた町は、今でも往時の名残をとどめる景観が随所に見られます。しかしながら、当時数百件あったと言われる土蔵は残すところ十数件になり、町家も壊され江戸の人が驚いたと言われるほど活気のあった町の面影は感じられなくなっています。
現代社会では、経済性・合理性という名の元に乱開発が進み、この地区にあるような歴史的な町並みが少なくなってきました。社会から求められるニーズの変化もあるかもしれません。私達の取り組みがこの町にとって必要か否かは私達で決められることではありませんが、このような町を残したいと強く願っています。街は時の流れと共に今も変化しています。この那古野の街も400年の歴史の中で、様々な足跡を残してきました。私達はこの歴史と共に、時代に左右されない本質的な価値の探求と時代に合わせた再定義を行いながら、これからの100年先への橋渡しを行っています。どの時代もこの街を彩っていたのは人でした。街を大切にする人と、人を大切にする街づくりこそが那古野のDNAです。私達は見過ごされている才能への投資、そして本質的なバリューアップを繰り返すプロフェッショナル集団として、街を彩る人と共に伴走していきます。