匠と伝統

column

第三回

町の歴史に溶け込む
いぶし銀の瓦を葺く

屋根を見守る瓦葺き職人――光嶋孝雄さん

文=横澤寛子
写真=若林聖人、堀宏之

 某日の四間道で出会った建築現場。屋根の上には、作業にいそしむ瓦葺き職人の姿があった。坪井利三郎商店でメインルーファーを務める光嶋(こうしま)孝雄さんだ。メインルーファーとは耳慣れない言葉かもしれないが、光嶋さんが勤める坪井利三郎商店では、屋根の上で働く職人のことをそう呼んでいる。ルーファーのメイン、つまり親方のような存在といえば分かりやすいだろうか。その肩書にふさわしく、光嶋さんは職人に指示を出しながら自らも瓦を葺いていく。ただ立っているだけでも身がすくむような高所で軽々と身をこなし、「瓦が崩れることがあってはならない。だから絶対に手を抜いてはいけない」と、モルタルと針金でしっかりと固定していく。その様は実に手際がよく、つい見とれてしまう。

 

「実は、夢があって瓦葺き職人になったわけではないんですよ。ただ岐阜から名古屋に出てきたかった。それだけの動機で今の職に就きました」。過去を振り返って笑う光嶋さんだが、17歳で入社してからは、瓦葺き職人の道にのめり込んでいった。「5年くらいはひたすら下働きの日々。最初は洋瓦から始まり、日本瓦も触らせてもらうようになりましたが、社寺の瓦葺きを任せてもらうようになるまでは15年くらいはかかったでしょうか。それだけの時間、続けてこられたのは、瓦葺き職人という仕事に魅力があったからでしょうね」。

 

 名古屋はもとより全国各地の日本家屋や社寺、近年では名古屋城本丸御殿の瓦屋根も葺いたという光嶋さん。那古野地区の一般住宅や土蔵造りのレストランの屋根瓦にも、光嶋さんたちが手掛けてきたものがあるという。「屋根の上にのぼって那古野の風景を見渡してみると、昔ながらの瓦葺き屋根の家屋がたくさん残っているのが分かります。それだけに、周囲と屋根の向きや角度、瓦の色合いが合っているなど、統一感があることにも感心してしまいます。今、葺いている瓦は、まだ真新しくて輝いていますが、あと20~30年もしてどのように那古野の町と溶け込んでいくのかが楽しみです」。

 

 そう話す光嶋さんは、出来上がった屋根を下から見上げるのが何よりの楽しみなのだという。「この達成感がたまらないから、職人を続けてこられたんでしょうね。今手掛けている建物の完成も楽しみです。この建物がきっかけで、より多くの人が那古野を訪れてくれたら。そして、瓦屋根に興味を持っていただけたらうれしいです」。