column
第五回
伝統工芸品を日常に。
新たなカタチを提案
商店街に明りを灯す提灯職人
-伏谷健一さん
文=横澤寛子 写真=若林聖人
「昔は1学区に1軒はあったのですが、現在は名古屋で5~6軒くらいでしょうか」。こう話すのは、名古屋市瑞穂区で昭和37年(1962年)から営み続ける提灯工房『伏谷商店』の2代目・伏谷健一さん。同工房は初代である父が中学卒業後、名古屋市内の提灯工房で修業を重ね、立ち上げた工房だ。以来、提灯を一筋に作り続ける。
多くの提灯工房は後継者問題で廃業を余儀なくされる中、伏谷さんは2代目として同商店に入り、現在も工房を守り続ける。しかし、伏谷さんは当初「家業は継がなくてもいい」と父から言われていたのだとか。そのため大学で経営を学び、東京で一般企業に就職する。しかし、大学での卒業論文のテーマは「お盆提灯の将来的マーケットの考察」。提灯とは別のことを学びながらも、家業のことは常に気にかけていたのだろう。後に父の後を継ぐことになった伏谷さん。振り返ってみると、別の仕事も経験し外の世界を見たことが今の仕事の中にも生きている。
伏谷商店では現在も全工程が手作業。木型を組んだあと、提灯の形を作るヒゴ巻きをしたら、和紙の貼り付け作業へと入る。その後の文字入れや絵付けも基本手書きだ。「途中の工程で機械を使ってもいいのかもしれませんが、結局、こういうプロトタイプのものは機械では計算できない。自分の目と手を使って仕上げないと」。一連の流れをいとも簡単にこなす伏谷さんだが、ここまでにどれだけ研鑽を積んできたことか。その言葉に技と誇りが込められている。
手掛ける提灯は、神社仏閣に掲げられる巨大なものから、お盆提灯や祭り提灯などがメイン。また近年は、インテリアに使用する飾り提灯までを手掛けており、時には海外からも発注を受けることも。しかし、すべてが安泰という訳ではないという。現在の提灯は工業製品も多く、小売業者から「安く」という要望を受けることも多々。しかし、提灯を作るうえで欠かせないわっぱ職人や塗師の生存も考慮すると、要望に応え兼ねるのが現状だ。また、分業制が主流だった名古屋の提灯業界では、そういった職人も激減。ゆくゆくは『伏谷商店』で、わっぱなどの部品作りを請け負うことも考慮していかなければいけないという。
「だったら自分で販売店をやり、価格を自分たちで提案すればいいんじゃないか。製造業が小売業を兼ねてもいいんじゃないかと思ったのです」。
そこで円頓寺商店街にオープンさせたのが『わざもん茶屋』だ。店舗の1階は提灯と伏谷さんがセレクトした伝統工芸品の展示販売。提灯のオーダーメイドも受け付けている。また、2階には掘りごたつ席があり、抹茶や季節の和菓子をいただくことができる。この場所を選んだ理由を尋ねると、「お客様が訪れやすい場所ならば名古屋駅近く。あと、伝統工芸品とも縁が深い名古屋城の近くも考えました。この名古屋駅と名古屋城の点と点を結べる場所が、那古野だったんです」。
しかし、この場所に店を出すまでには長い年月がかかったという。10年ほど前に店を出すことを思い描き、那古野界隈を歩き回ったが思うような場所に巡り合えず頓挫。4~5年ほど経過した時、偶然見つけたのが円頓寺商店街の物件。ここからは、導かれるように店のオープンまで話が進んだのだという。
「店ができるまでは、周囲の方たちも『何ができるんだろうね』と心配されていたかと思います。でも、挨拶にまわると気軽にお声がけいただいて。お隣の『松川屋』さんはうちの提灯を見て『いいね、いいね』と言って注文までしてくださったんです。“向こう三軒両隣”という言葉がありますが、ここはまさにそんな場所。人情を感じます。だからこそお客様に物を売る前に、まずは自分たちがここに根っこを生やさないと」。円頓寺商店街に店を開いてからは、近所の神社や氏神様のお参りは欠かさないという。「お祭りも大好きだから、自分たちができることは協力していていきたいですね」と伏谷さん。
店舗2階を利用して、提灯作りのワークショップを開くことも。「勘亭流文字を書く先生がみえるので、例えば書道教室をして、自分で書いたものを提灯に仕上げるといった、職人と職人をつなげる試みも面白いと思うんです」。
「伝統工芸品をカジュアルに楽しんでもらい、昔ながらのものを今に受け継いでほしい」。そんな店主の思いが詰まった『わざもん茶屋』は、今日も商店街に明りを灯す。
わざもん茶屋(伏谷商店)
わざもんちゃや(ふしたにしょうてん)
TEL:052-581-3233
住所:名古屋市西区那古野1-20-34
営業時間:12:00~19:00
定休日:月(祝日の場合は翌平日)