那古野と日本料理 | 京道 とよおか

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京道
とよおか

熊本の郷土料理と
修業先の味をちりばめた
若き料理人が腕をふるう
日本料理

街並み保存地区にも指定されている四間道の1本西側にある細い裏通りの沢井筋。微かに響く水琴窟の音色に導かれるままに足を進めた先にある建物の2階に『京道とよおか』はある。
 店を訪れた際、まず驚かされるのは舞台を彷彿とさせる広々としたエントランス。梁がなく木材がアールを描く天井、歴史を積み上げてきた那古野をイメージした地層のような壁。さらに、木目を活かしたなぐりパネルやガラス、鉄骨が見事に融合した和モダンの贅沢な空間に誰もが息をのむ。

引き戸を開け、店の奥へと足を進めると高野槙の1枚カウンター越しに笑顔で迎えてくれるのは熊本出身の店主・豊岡京介さん。小学生の頃に料理人になると決め、中学になってより現実的に描いた「30歳までには自分の店を持つ」との夢を叶えるため、自身が立てた綿密な人生設計から一度もぶれることなく精進。その計画とは、高校は調理科のある学校を選び18歳で調理師免許を取得。その後、老舗料亭「赤坂浅田」「名古屋浅田」で加賀料理を、蟹江にある鰻の名店「桂喜」で鰻の調理法を、さらにミシュラン一つ星店「味感ことほぎ」で研鑽を積んだ。年齢とは関係ない確かな知識と腕前から生み出される日本料理はもちろん、29歳という若さで自身の店を持ちえた人物として注目を集める那古野の若き料理人である。

店主の匠な話術が場を和ませ、目の前で盛り付けられる繊細な技や特注の炭台から立ち上る香りに食欲をそそられながら味わう料理は、季節感を大切に、熊本の郷土料理と修業先で習得した味をちりばめたおまかせコース一択のみ。料理を通して季節を感じてもらいたいとの思いで作られる一皿の一例として、盛夏の頃には、蓮の葉に半生に火入れをした天然の車海老や雲丹、蓮の花びらに出汁のジュレ。緑、赤、黄色、ピンク、輝くジュレのコントラストの美しさに心湧きたつ先付が供された。また、お造りは、ことほぎ直伝の濁り醤油に熊本の醤油2品を加え、同店ならではの味わいで提供。さらに、加賀野菜など野菜を中心とした八寸の中でも、季節を問わず必ず入るという自家製からし蓮根やからすみ、熊本直送の馬刺しといった熊本名物が供されるのも自身の故郷を堪能してほしいとの思いが込められている。
これらの料理と一緒に楽しみたい焼酎や日本酒、ワインも熊本から直接仕入れたものを豊富に取り揃え。作家のグラスやお猪口で供されるのも楽しみの一つである。「名古屋でなかなか味わっていただけない品ばかりです。なかでも数々のコンクールで受賞歴のある菊鹿のワインシリーズは希少です。日本料理との相性も抜群ですので、ぜひ一度味わっていただきたいですね」。

コースの中でのさらなるこだわりが石川県産の米を土鍋で炊く白ご飯とお供たち。「炊き込みご飯もできますが、それだと1つの味で終わってしまいますよね。だからあえてうちでは白ご飯にマグロの漬けとろろやうなぎのかば焼き、自家製なめたけといったおかずを10種類ほど用意しています。なかでも人気は卵かけご飯。このTKGには、和歌山の“こだわり卵”を使い、低温で火入れしたものを自家製のタレに漬け込んでいます。提供する間際に削りたての鰹節と熊本特産の青筋のりをたっぷりのせています」。
また、「桂喜」直伝の焼きにこだわった本格うなぎのおいしさにも定評がある同店では、貸きりの場合に限り、うなぎ三昧のコースも用意できるとのことなのでオーダーしてみるのも一興だ。

いただいたご縁を大切に
お客様の笑顔と幸せのため
全身全霊を傾ける

「来店してくださったお客様が来たときよりももっと笑顔に、幸せになって帰っていただけるよう、常に高いパフォーマンスができるよう準備をし、全身全霊を傾けるよう心がけています」と話す豊岡さん。毎朝足を運ぶ柳橋市場で仕入れる食材に加え、酒器や器など気に入ったものは1回電話で注文するだけでなく、どんなに遠くても必ず出向き、作り手と話をしてから仕入れを行う。「お客さんにいいものを提供するためには、相手にも僕のことを見てほしいと思っています。お互いを知ることで意思疎通もしやすくなりますし、作り手さんは直接お客さんの声を聞くことができないので、僕がその橋渡しをしたい。その相乗効果でお互いがもっとレベルアップができると考えています」とも。

「僕が初めて名古屋に来たのは18歳の時。いろいろ散策する中で、円頓寺商店街も知って。その風景が熊本にあるアーケード街に似ていることもあり親近感が湧きました。それに、四間道界隈の裏路地に入っていくと京都っぽい綺麗な町並みがあり、素直にかっこいいな、素敵だなと思ったのが最初です」。豊岡さんは店を出すなら、夜も静かな丸の内か那古野と最初から決めていたという。理由は、店を一歩出た瞬間に現実に引き戻される賑やかなエリアではなく、店で味わったような非日常の余韻を駅に向かうまでも感じてほしいという思いから。より理想に近い那古野で出店を決めたものの「那古野は簡単に店を出すことができない」と小耳にはさんでいたこともあり、無理を承知で問い合わせしたのをきっかけに夢への第一歩を踏み出した。

しかし、すぐには決まらず、那古野以外の物件も30~40件ほど見るなどし、何度も挫折しそうなほどの紆余曲折を経て、最終的に最初に見た今の物件に決まった時には、「運命を感じるほど嬉しかった。ここには地元の不動産会社はじめ関係している皆様のつながりの存在が大きかったと思っています。」と笑顔で話してくれた。

店名にある「京道」とは、「自分の名前の一文字と、店を開いたご縁のあるこの地、四間道から一文字をとって名付けました。自分の道を貫く、創っていくとの思いも込めています」。また、入口脇にかかる看板の文字は、店を出した時には名古屋で一番お世話になった「桂喜」の大将と女将に書いてもらおうとの思いが実現したものだ。「とにかく僕は、今までの出会いとご縁に導かれこの地で店を持つことができたと思っています。だから自分の大好きな故郷のことも名古屋で発信していきたいですし、地域の文化や人との繋がりを大切に、ご恩返しができる店になっていかなければと思っています」。さらに「10年後、20年後を見据え、若くして店を持ちたいという料理人が成長する場所をつくり、自分も共に成長できれば」と語ってくれた。