column
第九回
素材との対話によって
建物に息吹を加える
現場と向き合う左官職人――谷本光祐さん
文=横澤寛子 写真=若林聖人
ジャッ、ジャッと小気味よい音を立てながら鏝(こて)を動かし、壁に漆喰を塗り上げる――。左官職人・谷本光祐さんのこの日の現場は、那古野に新設するギャラリーの内装だ。塗り終えた壁の美しさに、これで完成かと思いきや、まだ下地の段階というから驚く。同建物の外壁も谷本さんが手がけたもので、色や質の表現、エントランスサインの艶やかな漆黒に思わず見とれてしまう。
1986年、左官業を営む家に生まれた谷本さん。高校卒業後、祖父の代から続く『谷本業務店』に就いた。しかし、左官業は想像以上に体力を必要とする職業。壁や床などの仕上げは建物全体の美観に大きく影響するため技術力が問われる難しい局面もある。
「1年目、2年目は慣れず、毎日辞めたいと思っていました。でも下手くそとは呼ばれたくなかったので、必死に仕事を覚えました。あと、父のほかに師匠がいたことが大きかったですね。あらゆる左官仕事を手がけているのではないかというほど経験を積まれた方で。僕が20歳くらいの時、町場(まちば)の現場に呼んでいただくことが増え、その方からも技術を学ぶことができました」
左官仕事は大きく分けると2種類ある。ひとつは野丁場(のちょうば)で、マンションなど大規模建物工事を担う。もうひとつが町場で、一般住宅などの現場を担う。いずれも決められたスケジュールの中で高い精度が求められるが、町場の現場では職人のセンスが試されることが多い。両方の現場で研鑽を積んだ谷本さんは、縁あって那古野の現場に携わるようになった。
「『こういう壁を作りたいけど、できる人はいないか』と職人を探していたようで、その話が僕のところに巡って来ました」
那古野で初めて手がけたのは、日本料理店『京道 とよおか』の外壁。階段を上がるとまず目に飛び込んでくるエントランスの壁で、それはまるで舞台背景のようでもあり、歴史を積み重ねてきた地層のようにも見える。波打つ層の色合いは、漆喰に土、顔料を配合して変化を出し、黒い大磯砂利も配置。鏝の当て方でも色のニュアンスを変えているという。「日本の伝統を伝えるアイキャッチになれば」という技術を形にした外壁は、那古野に新たな表情を与えている。
最後に、谷本さんに左官職人にとって大切なこと、今後の展望を伺った。
「左官職人にとって大切なことは、適応力でしょうか。今、既製品の材料は種類が増えているのですが、状況に応じて配合を変える必要があります。水分を含んだ材料の色と、乾燥して完成した時の色は異なるので、現場で経験を積んでいくしかないのです。今後の展望については、あまり野望というものはありませんが、いい師匠に出会えて環境にも恵まれてきたので、しいて言うなら“人造”を一度経験してみたいですね」
人造とは、近代建築をはじめ、昔の銀行などに施されてきた洗い出しなどでモールディングなどの装飾をつくる工法。いつか那古野の景色に加わることはあるだろうか。そんな期待に、今後も那古野の町を散策する楽しみがひとつ増えた。