匠と伝統

column

第十回

伝統の金箔技「箔押し」
技と志が空間に
新たな輝きを与える

箔の輝きを織りなす伝統工芸士――後藤勝巳さん

文=横澤寛子 写真=若林聖人

この日、伝統工芸士の後藤勝巳さんは那古野のギャラリー「Zen Garden Style」に設置される屏風に「箔押し」をしていた。箔押しとは、漆や合成漆を接着剤として、対象物に金箔や銀箔などを施す技法をいう。この時扱っていた金箔は、ユネスコ無形文化遺産にも指定されている「縁付金箔」で、その中でも特に上質な「1号色三枚掛け金箔」を使用。ほんの少しの吐息でも吹き飛んでしまう薄さだ。作業の現場は、見ている方が息を止めてしまうほど緊張感が漂っていた。

「箔押しで難しいのは、漆や合成漆の調合。金箔はとても薄く、下地の出来と拭き上げ方次第で金箔の表面が変わってしまいます」

そう語るのは「後藤太郎仏壇店」の三代目・後藤勝巳さん。全国の仏壇産地の中でも、繊細かつ絢爛豪華な「名古屋仏壇」の製造をはじめ、洗濯・修理などを手がける仏壇製造職人で、伝統工芸士の資格を持つ。
後藤さんは1967年(昭和42年)生まれ。屋号の「後藤太郎」は、初代であり祖父の名前で、明治末頃、今の大須仏壇街近くに工房を構え、仏壇の塗りと卸製造を始めたのが起源。その後、1927年(昭和2年)に現在の場所に移転した。二代目である父・政勝さんは、仏壇製造に加え金箔と金粉まきの技法を確立。高級感を演出できる仏壇を仕上げることに成功したという。

さらに2020年、那古野23街区『本坊筋長屋』の共用部分では1階エントランス部分に設置してある屏風が後藤さんの作品で、5枚の板壁に、錫(すず)の箔を一面に押して装飾したものだ。白金や銀箔に似た美しい光沢を持ちながらも、錫はゆるやかに経年変化をすることで独特の風合いを生む。「仏壇で培ってきた技術を、別の場所で活かすことができた喜びは大きいものでした。那古野は寺院も多く、以前から馴染みのある地域でしたが、訪れるたびにお店を見に行くなど、町に対してより愛着が増しました」と後藤さん。

取材時に制作していた屏風は、2025年8月頃より「Zen Garden Style」にてお目見えする予定。作業時の心境を後藤さんはこう語ってくれた。
「新たなチャレンジは、いくつになっても緊張します。しかし、依頼主の思い描く形を実現し、喜んでいただけることが達成感に変わります。今後も、仏壇製作を礎とし、培った技術を活かせる仕事に誠実に向き合っていくことができたら嬉しいですね」

 

大学卒業後、後藤さんは家業を継ぐ。
師匠はもちろん父と、90歳まで現役の職人として活躍した祖父の2人だ。
「最初は雑用からスタートしました。職人の世界では手取り足取り教えてもらえることはなく、見て覚えるしかありません。金箔押しに携われても、担当するのは仏壇の上など人の目につかない所ばかりでした。それでも、なんとか主要な部分を担当させてもらえるよう、一人で金箔押しの練習をするという日々を繰り返していました」

祖父、父が亡くなるまで「一度も褒められたことがない」と笑う後藤さんだが、現在では仏壇の仕組、箔押し、金粉まきの技術を取得し、蒔絵・漆器といった他分野の技術を勉強。ものを見る目も養い、今まで以上に仏壇作りに対する幅を広げる努力をしたという。

こうした研鑽の末、後藤さんのもとに舞い込んだ仕事が、名古屋城本丸御殿復元工事であった。絢爛豪華な名古屋仏壇に携わる職人たちに白羽の矢が立ったのだ。後藤さんはその一人として、本丸御殿の対面所の天井、湯殿書院の風呂屋形の鬼瓦の葵の蕾の家紋の金箔押しに携わることができた。